2015年7月24日金曜日

大自然と向き合う

私は登山が好きだ。


日帰りか山小屋一泊くらいが中心で、
近所の丹沢山系に出かけることが多いが、
毎年夏にはアルプスに足を伸ばして3,000m級の山にも入る。

一人の時もあれば、仲間と一緒に行く事もある。

山登りは、ランニングなどと同様に、
一般に、辛いキツいといったイメージばかりで、
その面白みが、なかなが分かりづらいのかと思っている。

その証拠に、それらに親しみの
ない方々からは、
どうしてわざわざ辛い思いをして、
大して面白くも無さそうな事に取り組むのかと、
ご質問をいただく事もある。


その面白みを伝える為、
山登りという体験そのものをうまく文章にと試みると、
文学作品の範囲に突入してしまい、これはなかなか骨が折れる。

つまり、上手く行くときばかりではない。


一方で、大自然と向きあう事によって
「何が得られましたか?」
この様に尋ねられた時に、
簡単に、私なりにまとめてみたのが以下の3点であった。


①自己中

②非日常
③共有化



①自己中

何をするかよりも、どう在るかが大切。

どうにかしようとしてもどうにもならない事なんて世の中に沢山あって、
それをどうにかしようともがくよりも、
自身の受け止め方、
自身の在り方、
自身の次の行動、
ナドナド、
「自己中」に、自分を中心に物事を考える方が建設的な事が多い。

高山という大自然には、天候の変化、険しい山道、
時に危険な生物との遭遇などが目まぐるしく訪れる。
携帯の電波も入らないし、コンビニもない。

そんな非日常の中にあると
「コントロールできるのは自分自身の事だけなんだ」と、
強く感じる。

物事を否定しても何も始まらない。
受け止めて、自分の考え方や行動を
「自己中」に変える事。


②非日常

それは日常を変えてくれます。
日常の出来事や環境そのものは変化しなくとも、
自身の受け止め方が確実に変わるから。

高山という大自然の中では
ご飯が美味しいし、
雨風を防げるだけで有難いし、
平らな所なんて殆どない中、
仲間の存在がより大切に思えてくる。

これを繰り返し体験する事で、
少しづつ変容が始まる気がしている。

当たり前の事を当たり前と思わない。
その為には、当たり前が当たり前でない
「非日常」に浸る事。


③共有化

誰かと経験を共にする事には沢山の価値がある。

なぜなら、同じ経験でも人によって受け止め方が違うから、
それを共有化する事で、共有化した人数分の体験を
疑似的な経験値として積めてしまうからだ。

だから、ただただ「共有してくれる」というだけで
仲間は貴重なんだと思える。

それは、誰かと終止ともの行動する事だけではなくて、
一人で山に入った時に
たまたま山小屋で出会った人だったとしてもだ。

結局一人では何も表現出来ない。
お互いの体験を相互理解する
「共有化」の材料が山登りによって沢山手に入るし、

その重要性や楽しみを大いに感じさせてくれる。



★行動のヒント
・自身でコントロールできる範囲に集中し、それ以外は手放す
・非日常を体験し、それを共有する事で日常や自分自身を振り返る


最後までお読み頂きありがとうございました。

宮木俊明




0 件のコメント:

コメントを投稿